なんだ自由度

脳内バイナリを完全テキスト化出来てないこの奇跡。

ゲームの自由度って何だ。
やりたい放題できることか?
マルチシナリオ・マルチエンディングか?
どこでもセーブか?
ムービー飛ばせることか?
勝手にキャラクターが芝居を始めないことか?
…それ、自由か?

自由度が低いゲームならなんぼでも思いつくし、洋ゲーの方が日本のゲームより自由度が高いって言われてるのも知ってる。そのせいで洋ゲーオンリーになっちゃってる人がたくさんいることも知ってる。
でもあたしには、思えない。
それは自由じゃない。
少なくともあたしの思う自由じゃない。
「勇者が魔王を倒して姫を助けてハッピーエンド」
しか選べないのはそりゃあ自由はないだろうさ。上一行の字面だけ見ればな。
だからといって勇者がとった選択肢によって勇者が魔王になったり魔王が仲間になったり姫が死んだり姫が魔王になったり、ってそれはちょっとツボだけどそういう問題じゃなく、とにかくその、ただのマルチエンディング?それは自由じゃない。
勇者がタンスを荒らし店で万引きし村人を殺し女子供をかどわかし怪しい商人から手に入れたマシンガンでモンスターをなぎ払える、とか、「普通はやっちゃいけないことを出来る」それもおそらく、自由じゃない。
どこまで自由だ?
どこから自由だ?

思うに「する自由」と「した自由」があるのではないかと思うのよ。
「自由度の高いゲーム」のいう「自由」が「現実世界のルールをある程度持ち込んだ故の自由」なのだとしたら、その「自由」は「する自由」。
やるのは出来るさそりゃあ。
でも世界はやった後の世話までしてくれない。
人を殺せば罪になる。あちらを立てればこちらが立たない。情に棹すれば流されるってんだ。住みにくいそりゃあ住みにくい。
やりたい放題やった後にやりたい放題やられてもそれはお前の選択だ。
そして「やりたい放題やらなかったこと」に対するフォローはまったくない。
すがすがしいほど無い。無いっちゃ無い。
当たり前だろうが、そりゃもうゲームじゃないじゃないか。
現実世界のルールを単純化して抽出したのがゲームなんじゃないのか?
現実世界のルールをそのまま持ち込んだらそれは世界シミュレータであってゲームじゃないし、シミュレータに成り下がったゲームなんかやりたくない。


じゃああたしは何がしたいんだ?


勇者じゃなくて農民や王女や盗賊になることが出来るのがあたしのやりたい「自由度が高いゲーム」なんじゃなくて、勇者が農民になったり王女になったり盗賊になったりしながら、魔王を倒すことも出来るし倒さなくてもいいゲームがあたしのやりたいゲームなのか?
いやもう一押し。何か足りない。

つまり「いつでもルールから降りてもいいが、降りたことに対するメリットもデメリットも大した事じゃない、だからいつでもルールにまた乗っかっていい」か?

それが「した自由」なのか?

…それはゲームか?ルールが決まってるからゲームじゃないのか?
つまりゲームとルールの関係は…


っとやべえ、危うくキーボード打ちながら寝るところだった。
もうねなさい>あたし


何というか、やっぱり論点がずれてきたので精進します。