コピペめも。

【問1】 ファミコン時代のコナミ社が、なぜあれだけクオリティの高い音楽を供給し続け、
後に"コナミック”と形容され、多くの熱狂的なファンに支持されるまでにいたったのか?
当時の歴史背景、コナミ社組織体制、コナミ社音楽スタッフ矩形波倶楽部の繁栄と衰退、
以上の三点を踏まえ1レスの規定30行以内にまとめなさい。 (25点)

>>26
・クオリティの高い音楽を供給し続けられた理由
当時は大量生産型ではない職人生産型の文化だった。そして音楽監修にはT−スクウェアのベースの人が入っていた。
恐らくこれらは意識的に初めからゲームソフトにおいて「音楽が大変に重要な要素である」という認識があったためであろう。
あれだけクオリティの高い音楽を作れるのも開発環境的にも相当インフラ等の面で投資が図られ音楽班は潤った状態で
あったと推察される。クオリティの高い楽曲の供給の持続は当然ファンの獲得にもつながり、バンドが結成されれば
さらにカリスマ性は上がり、企業内においても音楽・アート面での醸成が上がり、さらにそれによって作品のクオリティー
向上→売り上げ増→ファン獲得にもつながるという良い循環を生み出すことになった。

矩形波倶楽部の衰退
コナミの音楽文化の衰退の機転は、「ときめきメモリアル」にあると解答者は思っている。
コナミはそれまで、音楽はもとより、ビジュアル、ゲーム性においてもクオリティの高いゲームで
他のゲーム業界を牽引する代表企業と同じようにゲーム開発の先駆を走り続けゲームの地平を開拓してきた。
しかし、「ときめきメモリアル」でその状況はいっぺんする。コナミはそれまで軽いフットワークで常に新しいターゲットを追う狩猟を
続けてきたが「ときめきメモリアル」が当たったことにより、シリーズものをどんどんこさえて、安全パイを栽培する農耕企業に
なってしまったのだ。シリーズものの制作に味をしめたコナミは、シリーズもので得た利益とバブル最後の追い風も手伝い、
大企業になると同時にこれまでの職人型企業の文化風土を捨ててしまった。その結果、音楽といういわば文学にも共通する
スペックだけでは片付かない、文化的、情報の質で勝負する部分をおざなりにする傾向が強まってきたと言える。
また、下請企業にゲーム開発を丸投げするなどいろいろな面で大企業風を吹かすようになったのはいいが、
会社フォーマットをSONYになぞっているのはワロスとしか言いようがないw
販売サイトをコナミスタイルSONYスタイルの真似)、コナミコンピューターエンターテイメント東京(SCE東京の真似)などと名乗っている。
恐らく我々一般消費者の目に付かない会社の内部のさまざまなレベルのフォーマットも真似していると伺える。
こうなれば企業スペックは1流でもその魂は4流にまで落ちたと言ってよい。氏ね。実を言うと上でコナミを先駆的と言ったが実は
そうでもない兆候はあった。月風魔伝は「源平討魔伝に似てるヤツ作れ」、最近ではサイレントヒルは「バイオに似てるの作れ」という
トップダウンで作られたソフトである(これはコナミ社員がはっきりそう言ってる)。もともと先行者のある安全パイで勝負しようという傾向はあったのかもね。
また逆に問題のときメモは、現在のアキバ系カルチャーの先駆けになったのは確かではあるが・・・・・・・・・・。
ちなみに比較的古株である小島プロデューサーもかつて狩猟民としてまさに狩猟と呼ぶに相応しい作品「メタルギア」という
実験的大冒険を果たしたが、それも後の21世紀に続編が3まで作られ、農耕の材料にされたのは皮肉である。
コナミ文化の良い面を受け継ぐゲームとして、そしてまたコナミ戦争ゲームシリーズの真骨頂にして総括的作品のMGS3を最後に
首の皮一枚でかろうじて繋がっていた古き良きコナミ文化(音楽も含めて)は幕を閉じたのである。