いつごろから「電波」とか「毒電波」って言われるようになったんだろう

よく通り魔の供述が報道されるときに、はっきりした理由がない場合の言い訳として「電波に命令された」とか「神様にやれといわれた」みたいな容疑者の台詞がお決まりのように飛び出してくる。
そのイメージで、小説だとか絵だとか音楽だとか、現代芸術つうか前衛ちっくっつうか、とにかく「クラシック」でなかったり、「どうしてコレをモチーフにするのかわからない」とかいう、筋が通ってない、わけのわかんないのを一まとめに電波呼ばわりしてるけど(あたしもまあそうだけど)、そもそも電波ってなんなんだべ。

「電波受信する→命令を実行する」が一番シンプルなかたち。
犯罪にせよ芸術にせよ受信→実行のかたちは崩れない。これ覚えとく。

電波は目に見えない。そりゃそうだ。だからまわりの人間には本当にその人が電波を受信してるかとか神様に命令されてるかとかはわかんない。
でも本人は命令されてると認識してるんだから、本人的には受信してるんだろうよ電波。
つうわけで、以上のプロセスは実証できないからどーしよーもないんだけど、もっとわかりやすいもので例えると、携帯電話。

携帯電話で「○○しろ」って誰か上司とかから連絡が来る。
「コーヒー買ってこい」とか「○○に連絡とれ」とか。
「幼女誘拐しろ」「周りの人間を刺せ」「社長を殺せ」とか…は犯罪だけど。

「命令される→命令を実行」って形であることはいっしょ。
たとえそれがどんな命令の内容であれ、本人的には筋は通ってるでしょ?

  • やった本人→命令されたから実行した…筋は通ってる
  • 周りの人→本人が他人に命令されたことを知らないので本人が実行した理由がわからない…筋が通ってない

このあたりの食い違いのせいでなんでもかんでも電波扱いされるのよね。多分。

芸術の方もそう。
インタビューか何かで「本でこういう内容のことが書いてあって○○に興味をもって、面白そうだからネタにしてみた」って作者が言わない限り、何かをネタにした理由なんて他人にはわからん。
ネタにしたものと、実際に作ったものとの関連性が薄ければ薄いほど電波扱いされる可能性って高くなるんだと思う。
だってわかんないじゃんあれとかあれとかあれとかあれとか。(あえて言わない)

インタビューってそう考えると「電波におびえるファンを安心させるための治療薬」みたいなもんなのかしらと思いつつ某インタビュー映像を眺めて悦に入る日々でしたとさ。

結論じゃない結論→同じ人間にインタビューした、時期の離れてる記事ふたつの顔写真見て、明らかに年が顔に出てるとへこむ…けど出てないのも不安だよね。
(某どっかの変な作曲家と変な漫画家とは関係ありません)
(ところでイタリア文化は何故にそんなにある一定の年齢以上の方にはオサレ扱いですか)
(やべ、イタリアとか書いてたらななみんのエッセイ読みたくなってきた)